日本被称为“企业社会”,或“大企业社会”。主导日本经济、社会、外交和军事的真实力量来自于日本的六大财团,其中每个财团的领导核心是由财团金融企业控股的综合商社。中国学者和舆论界普遍将中日之间的关系问题定位在政府层面,往往忽视了日本社会的财团层面(幕后政府)。
想问问搂住这些判断依据何在?
以往的研究都认为日本是政府主导的经济,搂住的意思正好相反,是财团经济主导政府,请问是如何得出这个结论的?
三井・岩崎(三菱)・住友・安田・浅野・古河・藤田・川崎(金融)の8財閥(既成財閥)と,鈴木・野村など(大正財閥),日産・日窒など(新興財閥)の戦前の同族コンツェルン。【財閥の定義】「財閥」という用語は甲州財閥というように,特定地域出身の実業家のグループをさしていたが,昭和期に入ってから,巨大な資本によって支配され,統制されている企業群という。日本独特のコンツェルン形態が,三井家とか岩崎家など一家の手に握られているものをさすようになったといわれる。その多くは,「政商」より「財閥」へ発展したためもあって,批判的に扱われることが多い。藩閥・軍閥・閨閥(けいばつ)の類いである。しかし,財閥解体以後,史料公開が進み,この分野の経済史・経営史的分析が本格化した。その結果,日本の財閥について経済の発展段階との関連で理論的に分析し,〈原始的蓄積期に政商として官業払い下げを受けて多角化の契機をつかんだ財閥は,産業資本の成立期の指標を綿工業に譲る。外部から補強され,独占資本期にコンツェルン化を行い金融資本となるが,ドイツと違い自己金融的な閉鎖性をもつ金融資本〉(柴垣和夫)とした見解がうまれた。それに対し,鉱業を利潤の中核とした点に着目して,官業払い下げの検討から〈財閥はすでに官業の受け皿となる体制にあった〉とし,綿工業独占体との極分解を認めず,〈当初から日本産業を支え,重化学化のリーダーとなった〉(小林正彬)という見解や,〈家族ないし同族の封鎖的な所有・支配のもとに成立した多角的事業体〉(森川英正)では小企業も入るから〈子会社まで寡占支配力をもつ巨大企業集団に限るべきだ〉(安岡重明)などの見解がある。
【日本の特徴】日本の場合,クルップ・ロスチャイルド・ターターなど諸外国の財閥同様,同族の信頼性をもととした組織である点に違いはない。中心となる本店を合名会社(例,三井)・合資会社(例,三菱)形態の持株会社とし,同族のあいだで資金調達能力があれば,あえて他人の出資を求める必要がないから,本社への出資の非公開はぎりぎりのところまで維持された。ただ,諸外国に比して日本の財閥の出資の閉鎖性がきわめて特殊と思えるのは,財閥が巨大化し,コンツェルン(本社である持株会社が傘下の多数の子会社の株式を保有する企業結合)となっても,それらをひとにぎりの財閥家族が支配しているところにあった。それは,ドイツの株式支配を手段とするヒルファーディングの金融資本概念と同じものとはいえないし,また,外国の財閥に多いように鉄鋼が中核とならず,三井・三菱が自己の鉄鋼部門を日本製鉄会社(1934)という官営八幡製鉄所と民間鉄鋼6社の形成する巨大トラストに譲る形態さえとる。公益部門への進出は低く,電力業独占体を綿工業財閥とともに財閥に含める学者もいる。流通・金融支配度は高いが,重化学工業の支配は自己金融的蓄積構造のため高まらず,ために株式公開を昭和期に右翼の財閥攻撃もあって「財閥の転向」の一環として行った。戦時下の財閥の重化学工業化は著しく,三井は敗戦時,国内払込資本で鉱山・炭坑・造船・化学で3大財閥中1位,金属工業で住友,機械器具で三菱に首位を譲ったほかは,軽工業を含む,ほとんどの産業分野で第1位を占める総合財閥となった。
【財閥の諸類型】三井・住友のように旧時代からの両替商ないし鉱山稼行の大商人は維新後も,番頭経営によって運営される場合があった。
一方,三菱のように弥太郎-弥之助(弥太郎の弟)-久弥(弥太郎の子)-心弥太(弥之助の子)が社長で陣頭指揮を行う財閥もあり,安田・古河・浅野らも創立者存命中はその例であった。下って鈴木商店は番頭経営であり,野村は陣頭指揮経営である。これら旧財閥に対して昭和の新興財閥である,鮎川(日産)・野口(日窒)・森(森)・中野(日曹)・大河内(理研)などの創立者は,技術畑出身で経営者支配的なコンツェルンを形成したが,外部資金への依存が原因で挫折した。
〔参考文献〕柴垣和夫『日本金融資本分析』1965,東京大学出版会
安岡重明編『財閥史研究』1979,日本経済新聞社


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